(がんとともに)いまこのとき、喜びと悲しみ 難治がんで闘病中、朝日新聞記者・野上祐

あのとき、命惜しさに「お願いします」と頭を下げていたら、こうして書いている自分はいなかっただろう。

 がんの疑いを指摘された直後。病院探しを手伝えないかという政治家の申し出を当たり前のこととして断った。借りを作っていたら、一昨年の夏、参院選のことを書き、職場復帰を果たすことはなかった。朝日新聞出版のサイト「アエラドット」でコラムを毎週連載し、それを中心に毎日が回ることもなかった。

 連載「書かずに死ねるか」では色々と書いてきた。体調が悪いときに心に突如現れる「小鬼」や、食事のありがたさ。読者の共感が得にくいとされても、後事を託す政治に触れずにはいられない。

 「誰もが一つずつ持っている寿命の砂時計。終わりに向かって今もサラサラと落ち続ける、その音が聞こえますか」

 そう書いた回は、芸人の村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)のツイッターでも紹介された。

がんになるのは2人に1人。どちらの性別に生まれるか、というぐらいの割合だ。どんながんを経験したかで得ることは異なる。

 私が患う膵臓(すいぞう)がんの生存率はシビアだ。がんの疑いを指摘された当初、「ほかの臓器だったら」と願ったほどだ。死を意識することで、いまこのときを大切に過ごす。その思いは切実だ。

 日常生活を一変させるのは病気や死ばかりではないことにも気づいた。たとえば仕事中にスマートフォンが鳴り、お子さんがいじめられている(いじめている)と、学校の先生から知らされるかもしれないのだ。いまこのときの大切さは、誰にとっても変わらない。

 唱歌「グリーングリーン」で「ぼく」は「この世に生きるよろこび そして悲しみ」をパパと語り合う。

 悲しみを言うなら、私は2度の手術でも根治に必要な切除ができず、再発を心配する地点にも立てていない。新年も病院で迎えた。ショック死のおそれ、高熱。いま生きていることが信じがたい。

 一方で、喜びも確かにある。出会うはずのなかった人と心が通い合う。思わぬ人が心づかいを行動で示してくれる。そんな瞬間、心が震える。

 生きる喜びと悲しみ。それは混然一体となって心を満たす。

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 のがみ・ゆう 1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋本社社会部を経て政治部に。福島総局次長だった2016年1月に膵臓がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中。

 ◆宮川サトシさんは1978年、岐阜市生まれ。大学生の時に血液の病気にかかり、骨髄移植を受けた。学習塾経営を経て2012年に漫画家デビュー。代表作は「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」(新潮社)、「情熱大陸への執拗(しつよう)な情熱」(幻冬舎)など。宮川さんの作品を愛読する野上記者の提案を受け、がんをテーマにした書き下ろし漫画と野上記者のイラストを描いてもらった。

(出所:朝日新聞、2018年2月4日掲載)

エッセイ漫画「親のがんに付き添う」
あのとき、命惜しさに「お願いします」と頭を下げていたら、こうして書いている自分はいなかっただろう。

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