難治がんの記者が最後に贈る「悩みへのちょっとした対処法」

AERAdot.で毎週土曜日に配信していた連載「書かずに死ねるか」の筆者である朝日新聞政治部記者・野上祐さんが12月28日午後4時24分、入院先の病院で亡くなりました。

 12月初旬から重篤な肺炎を患い、いったんは持ち直していましたが、26日に感染症が見つかり、容体が悪化していました。葬儀はご家族のみで執り行うそうです。

 今回は、野上さんから最後にお贈りする「悩みへの対処法」についてです。「書かずに死ねるか」との思いを最期まで貫いて、27日まで推敲を重ねたものです。

 この連載を中心にした著書は、来年2月20日に朝日新聞出版から出版される予定です。野上さんのご冥福をお祈りします。

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 配達サービスで古本を病院に取り寄せた時に、封筒の破り口からそれが白い薄い紙に包まれて現れると、ゾッとする。今月上旬に容態が変わってベッドから降りられなくなったせいで、全身の圧力がめっきり落ちた。そんなときに、その紙は滑りやすさを増す気がするのだ。

ベッド脇に積んだ本の山から4、5冊を無造作につかむと、トランプのカードのように手の内で本がずれ、1メートルほど下の見えない床から「バチャッ」という音が聞こえてくる。

 本を手に取る前に握力を意識するようになっても、あの、無惨な音は忘れられない。

 病気で握力が下がっているのは知っている。なのになぜ、よりによって音に念押しされなくてはいけないのだろう。

 要するに「一事が万事」だ。前なら気にもしなかったグラム単位の重みにまで、病気が顔をのぞかせる。

 そんなわけで、今のままなら年末年始は2年連続、東京都内の病院で迎えることとなった。

 とはいえ、いいことがまるっきりないわけではない。体に日々何か起きる状態で医療関係者が病室に飛び込んできやすいのがひとつ。もう1つは、ほかの患者さんがいない個室でこれまでの思い出などを配偶者とゆっくりしゃべれることだ。

 がんをめぐる私の考えは、これまで60回を超える連載で明らかにしてきた。とはいえ、コラムをすべて読み返してほしい、と読者にお願いするのも酷だ。

お盆でスケジュールが詰まったお坊さんに施主が「ありがたいところだけ」読経をお願いすることがある。

 ありがたくなくても、とくに読者にご関心がありそうなことはどこか。配偶者に思い浮かべてもらい、私が答えた。それが以下のやりとりだ。

【問1】 会いたい人に会えないことでパニックを起こしたらどうすればいいか。

【答】 会おうとすれば会える時と、会いたいけど会えない時がある。つまり、世の中には変えられることと変えられないことの2つがあるとコラムで書いた。そこは受け入れるしかない。私の母親が13年前に亡くなったときには、もうそういうもんだと自分は考えていた。そういう風に思えるかどうかは、体験の有無と無関係。

 ちなみに受け入れに限らず、その時その時で必要な理屈はその都度、自分で考え、取っ替え引っ替えすればいい。お互いは矛盾していても、自分を都合よく導けるのならば。

【問2】 どう決めたらいいか迷った時はどうすればいいか。

【答】 選択肢がいくつかあるのなら、それぞれの良い点と悪い点を洗い出して比較すればいい。ただし、選択肢が1つしかないこともある。その場合は悩んでも仕方ない。「変えられることは変えましょう。変えられないことは受け入れる努力をしましょう」というラジオ人生相談の言葉をコラムで紹介したことがある。そこに時間を使うのはもったいない。その分、他に違うことをやったほうがいい。想像するに、選択肢が1つしかないのに悩む人は「もう変えることはできない」ことを受け入れるかどうかで四苦八苦しているのかもしれない。それなら、その手前で「選択肢がいくつもある場合もある。しかし、今回はそうではない」と、かなわぬ希望を念入りにつぶしておくといいだろう。

 変えられないことは受け入れる。

 その結論だけみれば、「それが簡単にできないから苦労しているんだ」という声が寄せられそうである。

 私は連載で再三そのことを書いてきたから、連載を読み直していただくことで、ストンと腹に落ちる方もいるかもしれない。

 通勤、通学のない年末年始はそのためにいい時期です。

 それでは、みなさん、良いお年を。

※この連載は今回が最終回になります (出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年12月29日掲載)

白い薄い紙に包まれている古本

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