「ひとはなぜ生きるのか」と考えたことがない 難治がんの記者と寅さんが語った「人が死ぬ理由」

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「ひとはなぜ生きるのか」という問いについて。

【フーテンの寅さんと一緒に…?】

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 人はなぜ生きるのか。あるがん患者の女性が思い悩み、私がどう考えているか知りたがっている、と聞いた。

 それで我が身を顧みたものの、「人はなぜ生きるのか」も「なぜ死ぬのか」も、ぱっと答えが思い当たらない。

 難しい病気にかかれば、誰でも一度は思い悩みそうなものだ。なのに私が気にかけずにきたのは、ほかに考えることが多かったからだろう。たとえば、がんを根治するためにリスク覚悟で改めて手術を受けるかどうか。あるいは、毎週締め切りがくるコラムに何を書くのか。程度はバラバラでも、具体的な答えを出さなければいけない時に、抽象的な疑問が頭に入り込む余地はないのだ。

 とはいえ、だからあなたの疑問には答えられません、では、身もふたもない。頼りにされた以上は、誰かからの借り物でも、自分で納得できる言葉でご本人に役立ちたい。

 まずパッと頭に浮かんだのは、山田洋次監督の名物シリーズ「男はつらいよ」に出てくる寅さん、車寅次郎のセリフだ。

 第18作「寅次郎純情詩集」で寅さんがほれる近所のお嬢さんは病気で、余命いくばくもない。何も知らない寅さんは彼女が漏らした「人はなぜ死ぬのでしょうねえ」との問いに、答える。

 人間がいつまでも生きていると、陸の上が人間ばかりになる。押しくらマンジュウしているうちに、隅っこに居るやつが海の中へ落っこってアップ、アップして死んじゃう。そういうことになってるんじゃないですか、昔から――。

 寅さんはこの2倍近く冗舌に語り、「そういうことは深く考えないほうがいいですよ」とお嬢さんを諭す。

  海、はみ出す、落ちる。

 連想したのは、子どもの頃に何かの本で見た古い地図だ。国際政治学者、高坂正堯は『世界地図の中で考える』(新潮選書)で「昔の地図は地球を平面と考え、海の方に行けばその端は滝になっていて、船はその滝のなかに沈んでしまうというようなものが多い」と書いている。

 端を大洋で切り取られた地図は「隅っこに居るやつが海の中へ落っこって」という寅さんのセリフを思わせる。東洋と西洋、時代も飛び越えた組み合わせについ、にやりとしてしまう。

 この本には、古代エジプトで活躍したギリシア人天文学者エラトステネスが「地球が球形だと知ってい」たものの、本人にとってその知識は「なんら実際的な意味を持ちえなかった」という指摘も出てくる。

 そこから先のことは考えても仕方がない――。私にとっては「生きる理由」も「死ぬ理由」もこれだ。見つけ出さなくてはと海に船を出し、やがて滝に引き寄せられていって、最後はドボン。そんなリスクはおかさなくていい。

 今、思い悩んでいるというその女性と顔を合わせたとする。自分なら、なんと言葉をかけるだろうか。たぶん、まずは寅さんの話をして「そういうことは深く考えないほうがいいですよ」と笑わせるだろう。しかし、それも一瞬のことだ。待ち望んだ答えをはぐらかされ、相手はがっかりした顔を浮かべる。すかさず伝えるのはこんなことだ。

「おそらくいまあなたに必要なのは『生きる理由』ではない。それはいったん見つけたと思っても『これが本物か』と疑問を招き、きりがないはずだ。それよりも、何をすれば今より心地よく過ごせるか考えませんか。行動に移してはまた考える。それを繰り返すうちに、『生きる目的』を問う気持ちの根っこにある日々への不安や不満が若干薄れ、問うこと自体を忘れているかもしれませんよ――」

 前回のコラムでは、「もう食事はできない」と言われても、極上のひとさじを楽しみにしている、と書いた。以前通りには働けないが、コラムの連載という別のスタイルで働き、満足していることも。

仕事でも食事でもいい。そこで自分がやりたいこと、得たいことは何かを切り出すことだ。それを実現するために、何をはじめ、これまでやってきた何をやめるのか、考えを行動に移してはまた考えて、を繰り返すのだ。

 それにしてもと、ふと思うことがある。患者の端くれとして私にもそれなりの苦労はあるのに、人様の悩みや相談について、なぜ深入りしそうになるのだろうか、と。

 もともと、「親切はできる人ができる時にするだけで世の中はだいぶ良くなる」というのが持論だ。体の具合などで常には無理でも、積み重ねれば大きくなると信じている。

 多くの人にはどこかしら愚かなところがあるものだ。先日、お見舞いにきた知り合いが自分や家族の体調を話すなかで「がんじゃなくてよかった」と2度、強調した時は耳を疑った。がん患者によっては、不愉快な思いをする人もいるだろう。デリカシーの欠如を指摘して教育を施すべきだったと、時間が経つにつれて思えてきたものの、初めは「ひどくデリカシーがないな」と、かえって噴き出しそうだった。突き放そうにも、突き放せない。自分の愚かさを思うとできないのだ。

 想像してほしい。一人一人の足元で縦横2本の軸が交錯している姿を。縦軸は過去から未来へと延びる歴史。横軸は同時代を貫く、各地への広がりだ。

 同時代については以前、「がん患者になって痛感したことが『戦争はいけない』ということだ」とコラムで書いた。命を仲立ちにすることで、連帯感を覚えるようになったのだ。病気になったあと、不思議なことに、歴史への関心がより高まった。人の生涯の積み重ねだからだろうか。

「僕らはみんな生きている」とは唱歌の歌詞の一節だ。生きていれば嬉しい時も、悲しい時もある。自分の力はわずかでも、横を歩む人たちから求められる限りは、出し尽くしたい。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年11月17日掲載)

フーテンの寅像と筆者。2016年11月13日、東京・柴又の柴又駅前

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