難治がんの記者 この連載を始めるきっかけとなった棋士の“言葉”

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回はこのコラムを書くきっかけとなった、棋士・先崎学九段について。

【大きく影響を受けた先崎学九段の著書】

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 好きな書き手の言い回しはまねしたくなる。私でいえば「~するよりない」がそれだ。相手は、この連載を始めるという私にとっては大きな決断を後押ししてくれた恩人だ。が、ご本人はそれを知らない。知らぬ間に大きな役回りを果たしている――。言葉とは不思議なものだ。

 プロ棋士の先崎学九段のエッセーを私が読むようになって10年以上たつ。「である」調の歯切れ良さとユーモラスな会話。時に感情があふれ出す絶妙さ。本は本棚の手に取りやすい高さに並べてあり、今もよく手を伸ばす。

 何度も読んでいるからどこに何が載っているかだいたい覚えている。原稿にリズムがほしい。笑って頭を空っぽにしたい。その時の気分に合わせてページを開く。

 おそらく一番読んでいるのは「『ハスラー』と『カモ』」(『まわり将棋は技術だ』所収)だ。それは「テレビで『ハスラー』と『ハスラー2』を二日連続で観(み)た」と始まる。

<あのころ、誰もがハスラーになりたかった。将棋の世界でなりたかった。いったん棋士になってしまえば、カモになっても棋士だが、明日の保証がなんにもない奨励会でカモになることは、すなわち消え去ることを意味していた>

 奨励会とは、プロ棋士の資格という「命」を手に入れるためにその卵たちが激しく争う場だ。病気となったいま読むと、「死」の雰囲気が感じられてならない。

 エッセーにたびたび登場する「~するよりない」は先崎九段らしさがにじむ言い回しだ。検討の結果、打てる手が一つしかないとする。「じたばたしない」淡泊さと、「やれることはやる」しぶとさ。前よりも目にとまるのは、病気と付き合う中で同じ心境になるからだろうか。

ついでに言えば「よりない」は同じ意味の「ほかない」「しかない」に比べて、きっぱりしたニュアンスがある。「か」で息が止められずに一息に言い切る。だから、というのが私の仮説だ。

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 エッセーをところどころ覚えているのは好みに過ぎない。だが出会いから月日がたち、連載を決意するきっかけの一つになるのだからわからない。

 さかのぼること1年。都内の病院に入院中、ゆくゆくは本にまとめるつもりで連載を始めるつもりはあるか、と打診された。

 はっきり言って体調は良くない。体調に浮き沈みがあっても一定のペースを守り、本1冊分に達するまで生きて書き続けられるか。二の足を踏んだ。

 そのとき頭に浮かんだ幾つかのうちの一つが、先崎九段のエッセー「村山将棋を残す」(『先崎学の浮いたり沈んだり』所収)だった。がんで早世した友人の村山聖九段をしのぶ文章にこんな一節がある。

「将棋指しが残すのは、つまるところ棋譜だけである」

 いったい自分には何が残せるのか。人の心を打ち、政治のあり方を変えるようなインパクトのある文章が書けるとは思えない。

 しかし、と考えた。村山九段を振り返る文章に胸を打たれるのは、彼が病に屈せずに名人の座に挑み続けたからだ。

 だとすれば体調が悪く、困難が大きければ大きいだけ、挑む価値も大きくなるではないか――。

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 運命は皮肉というほかない。私が連載を決意し、退院した昨年7月。背中を押した先崎九段が入れ替わるように入院するはめになるのだから。

「休場する」というニュースを昨夏見たときから「ひょっとして」とうつ病を疑っていた。今月、新著「うつ病九段」が売り出され、さっそく買い求めた。

 私はうつ病と診断されたことはない。しかし、本に出てくる症状のいくつかは、体が一番しんどかった一昨年暮れからその年明けにかけて、自分も体験したことだった。

 息苦しさや、本を読んでもすぐに集中力が途切れる苦しみ。うつ病患者特有の心理だろうが、この本で彼は繰り返し、周りから「価値がある存在」だと認めてほしかったと書いていた。

「あるに決まっているじゃないか」と思った。病から回復した今や必要ないとしても、伝えたいことは色々ある。

 彼のエッセーを読んでいたおかげで連載に踏み切れたこと。それがめぐりめぐって、今月19日にはがん患者の思いを舞台上でしゃべることになり、芸人の村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)に促されて配偶者まで舞台に上げられたこと。連載を読んだ人の反応まで広げたら、それこそきりがない。

 そして、病気との付き合いで「~よりない」と思い定めるのは、先崎九段の影響もあるのでは想像していること。その新著を食事中も読み続け、「先崎は自分の中で大きな存在なんだよ」と配偶者に言い訳したこと。

 そうしたもろもろを、彼のエッセーに登場したことがある共通の知人を通じて伝えることも考えた。だが考えてみれば、この連載以上にふさわしい場はない。何といっても、彼のおかげで立ち上がった連載なのだから、と思い直して記したのがこの文章だ。

 将棋を心の支えに復活を遂げた彼に、それ以外に割くエネルギーはないかもしれない。だが私にとって「先崎学」は、棋士である以上に物書きだ。「これからも書くよりない」と思い定めてほしい。

 時に私を鼓舞し、立ち上がらせ、時に朗らかな気分にさせてくれる。そんな「先崎節」を待っている。 (出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年7月21日掲載)

筆者宅にある先崎学九段の著作の一部

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