「難治がん」と闘う新聞記者が、SMAP元メンバーの「新しい地図」から思いめぐらせたこと

働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。

【郡山の「SMAP」はこちら】

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 アイドルグループSMAPの元メンバー3人がファンサイト「新しい地図」を始めた。新聞広告の鮮やかな青空を見ながら、ふと思った。解散と聞いて、衆院よりSMAPを思い浮かべる人は案外多いのではないか。

 まだ福島総局で働いていた昨年1月。芸能関係に強い記者から尋ねられた。「郡山のSMAPって、知ってます?」

 エスパル、モルティ、アティ、ピボット。福島県のJR郡山駅前にある4つの商業施設が、そのアルファベットの頭文字から一部でそう呼ばれているのだという。ちょうど事務所からの独立問題が騒がれていたころだ。

「面白いじゃん。取材してみてよ。写真も4カ所全部あったほうがいいよね」
「ですよね。でも私、取材と両方は無理なんで、写真は郡山支局のあいつに撮りにいかせて……」

 県内に配られる新聞に載っている「県版」の読者の多くは、程度のちがいはあるにせよ、東日本大震災と原発事故によって被害を受けている。その関係で載せなければいけない記事は山ほどある。だが、人の心にはSMAPのような存在に救われる部分が多かれ少なかれあるだろうし、そんな理屈抜きでも、意外性があって面白い。

「県版のカタ(2番手)だな」。トップ記事を意味する「アタマ」は、震災をストレートに扱った記事を載せることにした。

 そして「本家の独立協議…郡山の『SMAP』複雑?」という記事ができた。だが、ふたを開けてみれば、軽めの見出しとは裏腹な内容になった。

●「SMAPはどんな逆境にも負けない」

「郡山のSMAP」の一つ、アティ。震災の影響などで休業が長引き、半年たった2011年9月末にようやく営業を再開した。復興支援の仕事をしていた女性の一人が、福島再生への願いを込めて「郡山の新生SMAPです」とコラムに書き、県のホームページに投稿した。自身はファンではないが、今回の騒ぎについて「SMAPはどんな逆境にも負けない」と話している――。

 ほかの土地ならば、たとえ商業施設の名前がSMAPでも、単なる話題もので終わるところだろう。

しかし、福島は違う。人びとはふるさとを失い、ものの売れ行きや観光客の出足を鈍らせる風評被害に苦しみ、無関心の広がりという風化を嘆く。それが、発生から6年たった現実だ。総局内ではこんな夢が語られた。「いつか、震災も原発事故もまったく出てこない県版をつくりたい」

●右往左往する議員たちが気づかない「風」

 年末に解散した本家SMAPの5人も、出演番組で震災への支援金を募り続けた。ツイッターを「♯SMAP」「♯東日本大震災」で検索してほしい。「5人の思いを受け継ぐ」と寄付を呼びかけるファンの言葉があふれている。

それなのに政治家はどうだろうか。

 震災をめぐり「東北でよかった」と今村雅弘復興相(当時)が言い放ったのは今年4月だ。政治家の問題発言には慣れっこになりつつある私も、このときばかりは「許せない。絶対に許せない」とニュース画面に口走り、奥歯をキリキリとかみしめた。

「閣僚全員が復興大臣」と繰り返してきた安倍晋三首相は25日、記者会見を開いた。衆院の解散を表明し、その理由を語るなかで、震災や原発事故に触れる場面はなかった。野党も野党で、このタイミングの解散に対する批判に終始。その後は新党をめぐるごたごたばかり続いている。

 これに先立ち、永田町にはにわかに解散風が吹き荒れた。政治生命がかかる議員たちが右往左往するのはわかるが、もっと気にしなければならない「風」があるはずだ。

 風評、風化は福島の人びとの暮らし、ときには命にもかかわる。それをどうすべきだと考えているのか。互いに訴え、被災者に希望を抱かせる選挙戦にしてほしい。

最後に個人的な思い出をつけ加えると、「郡山のSMAP」が載った新聞が配られたのは昨年1月15日だ。昼間になり、職場のアシスタントから1通の封筒を渡された。前年受けた人間ドックの結果で、中を見ると「要 精密検査」とあった。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年9月30日掲載)

郡山のSMAP(撮影/高橋尚之)(C)朝日新聞社

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