「ナポレオンが3歳で死んでいたら…」予想外の展開に難治がんの記者が忘れられない高校時代の歴史の授業

2019-06-01

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は世の中を変えていくsomething、「何か」について。高校時代の忘れられない授業とは?

【ナポレオンの没落についても書かれている『君たちはどう生きるか』】

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 病気になって歴史への関心がより高まった、と前回書いた。ここに紹介するのは、こと歴史に関しては人生で一、二を争うのではないかと思うほど、見る目を改めさせられたエピソードだ。

 今から30年前のある日。高校1年生の世界史の授業で、教師が生徒たちに質問を投げかけた。

「もしもナポレオンが3歳の時にはしかで死んでいたら、歴史はどうなっていたと思う?」

 なあんだ、そんな質問かと鼻白んだ方もいらっしゃるのではないか。少なくとも当時の私は、即座に白けたものだった。歴史好きなら小学生でも知っている「クレオパトラの鼻」。その焼き直しではないか、と思ったのだ。

 ちなみに先日、お見舞いの知人に同じ質問をしたところ、相手が思い浮かべたのも「クレオパトラの鼻」だった。

 古代ローマの英雄たちがエジプトの美女の外見に翻弄(ほんろう)され、国運が浮沈する。歴史はちょっとした偶然でその後の流れが大きく変わる、というエピソードだ。

 偶然の中身を1人の美貌(びぼう)から死に置き換えたところで結論は変わらない。両者の軽重の差を考えても、その後の流れはさらに実際と大きく変わっていただろうという程度の話では、と予想した。

 それが30年たっても忘れられないのは、この予想が鮮やかに覆されたからだ。「ナポレオンが死んでいても、歴史はほとんど変わらなかっただろうね」と教師は言った。「もしかしたら実際の歴史に比べて、ものごとが起きるのが多少、早かったり、遅かったりするかもしれないけど」

ぐっと身を乗り出した。なぜそう言えるのか。「ナポレオンがやったことの多くは、その時代の人たちや社会が求めていたことだった。仮に彼が3歳で死んでも、彼がいたために日の目を見なかった第2のナポレオン、『ナポレオン・ダッシュ』のような存在が現れて、第1のナポレオン、つまり本物とほとんど同じことをやっただろう」。その後の歴史の流れの延長上にある「現代」も、いま私たちが暮らしている社会とそうかけ離れてはいなかっただろう、という話だった。

 こうした仮説は実験では確かめられない。しかし、当時の社会・経済情勢を一つ一つ押さえていけば「偉業」がそれらと無関係に1人の人物によってもたらされたとは、確かに考えられない。

 他国などの勢力から抵抗されようと、当事者が死去しようと、人々の求めに応じて姿を現し、世の中を変えていくsomething、「何か」が歴史には存在する――。そうした考え方に心が震えた。

 近年ベストセラーになった本に吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)がある。私が読んだのはその3年前、中学1年生の時だが、ナポレオンの退場についてこの本は同じ趣旨の見方を反対側から示している。

 いわく、明治時代に制定された日本の旧民法典を含め、各国に影響したナポレオン法典の法治主義は評価できる。だが、対英禁輸からロシア遠征失敗へと続く流れで「ナポレオンの権勢も、世の中の正しい進歩にとって有害なものと化してしまった」。その結果、ナポレオンの退場は「遅かれ早かれ避けられない」ことになっていた、というのだ。

 天下の大勢にあわない指導者はその座を追われるというのは、儒教の基本原理でもある。

 天下の人々の心に従わない暴君を追放するために人が立ち上がる。10人、100人が殺されても、無数の人が次々に立ち、やがて追放を果たす。追放が個人ではなく、天下によるものだからだ――。

 これも当時なりのsomethingとして私の中ではつながっている。

「世の中にとってそうあるべきこと、正義は遅かれ早かれ実現する」

私が社会に対してどこか楽観的なのは、こうした授業や実体験、人や本との対話をごった煮した結果なのだろう。

 来月にはノーベル賞の授賞式が催される。

 以下は医学生理学賞の受賞が決まった研究者に安倍晋三首相がかけたお祝いの電話だ。

「研究の成果は、がんやパーキンソン病など難病に苦しむ方々に光を与えたと思う」(一昨年10月3日、大隅良典・東京工業大栄誉教授に)

「研究の成果で多くのがん患者の皆さんに、希望や光を与えられたんだろうと思う。私の大変お世話になった方も、オプジーボで命が救われた」(今年10月1日、京都大学高等研究院の本庶佑(ほんじょたすく)副院長・特別教授に)

 さて、首相が繰り返した「光」はどこから、あるいはどこまで及ぶのか。

 私がかかる膵臓(すいぞう)がん。生存率が低い理由の一つが、使える抗がん剤の種類が少ないことだ。

 首相が「苦しむ方々」とよんだ現在進行形の患者のうち、将来生まれる新しい抗がん剤の恩恵を受けられる人がどれぐらいいるか、心もとない。

 そのいっぽうで、将来、膵臓がんにかかる潜在的ながん患者は新薬が間に合うかもしれない。

 光は光源から遠ざかるほど薄くなり、ゼロに近づく。しかし、光が一つあればそれを目印に、さらに広く強く世の中を照らし出そうと、後に続く人が出てくるかもしれない。

 天下の大勢に合わない暴君……ではなく病や数々の障害を取り除こうと1人、10人、そして100人が立ち上がる姿が目に浮かぶ。まだ埋もれていたsomethingがやがて姿を現し、世の中を照らし出す。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年11月24日掲載)

近年ベストセラーになった『君たちはどう生きるか』。ナポレオンの没落についても書かれている

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