自分の涙声で気づく…難治がんの記者が「人には憐れみがある」を実感した夜

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「むすんでひらいて」。

【ルソーが作曲した「むすんでひらいて」の音符】

*  *  *
「できる記者っていうのはね。目が動かないんだよ」

 目が動くと、相手は「大事なことをしゃべってしまった」と思って口をつぐむから――。父親ほどの警察官からむかし言われたことを連載の初回に書いた。

 だが、動かすまいと意識するほど目はキョロつく。そこで生かしたのが、入社試験の受験生に作文で「野上は目が細い」と書かれた目の細さだ。相手に向かって心の中を映し出す窓を閉じてしまえばいい。笑顔の体(てい)で目を細めることにした。それを新入社員に研修で話したら、それなりにウケた。

閉じるといえば、その研修ではノートの「取り方」ではなく「閉じ方」も話した。取材の中身によってはノートを開いていると相手が身構え、口が重くなる場合がある。そういう時は「ありがとうございました」と言ってノートを閉じる姿を見せ、雑談に移ってから、リラックスした相手に聞きたいことを尋ねる。極端に言えば、閉じるために開いておくのだ、と。これも数年後、政治部で同僚になった参加者から「印象に残った」と言われた。

 最近読んだ漫画『ハコヅメ』(泰三子)に、メモをとろうとした若手警察官がベテランから「刑事は人の話を聞く時メモはとらん」と注意される場面があった。「記録されていると言えないコトも小道具なしに向き合えば話してもらえることもある。若い刑事は便所に駆け込んでメモをとったりするもんだ」

 どの世界も同じらしい。

  ◇
 開く、閉じる。
 閉じて、開く。

 なにかに似ていると思ったら童謡「むすんでひらいて」だった。

 作曲は18世紀フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソー。

 ミーミレ、ドードー
 レーレー、ミレドー

 そう始まるメロディーは彼が作曲した歌劇「村の占師」の一部とされる(作詞者不明)。

ルソーといえば、17世紀英国のトマス・ホッブズ、ジョン・ロックと並ぶ「社会契約説トリオ」の1人だ。代表作の「社会契約論」はフランス革命に影響を与え、日本の自由民権運動家の間でも中江兆民の和訳が読まれた。

 ホッブズのことは、対立する二つの陣営から憎まれながら「万人の万人に対する闘争」を発想したことを前にコラムで書いた。そのもとになったのが、彼が最初に唱えた、人の「予見能力」だ。病気が先々どうなるか。そう考える私にとってホッブズも予見能力も遠からぬ存在なのだ。

 それでは、ルソーにも私との因縁があるか。家の本棚から関係ありそうな5冊の本を引っ張り出して読み出すと、まずは病気のことが目についた。

「以前からの尿閉症に腎臓痛が加わり熱がたかく、さらに胃が激しく痛み、たえず吐き気があり、ひどい下痢もある」

 桑原武夫編「ルソー」(岩波新書)の記述は息苦しい。

 しかし、ルソーの人間観はきれいごとで、ウソっぽく感じた。人間は自己愛に加え、他人の痛みを自分の痛みと感じる「憐れみ」の感情を持ち合わせている、というのだ。社会が成立していない「自然状態」を仮定したそれと、いまの私を直接重ね合わせるのは無理にしても、体が本当にしんどい時はほかの患者のつらさなど、どうでもよかったからだ。

「トリオ」でただひとり彼は学校教育を受けていない。家庭が崩壊し、放浪生活も体験している。肖像画ではどれもパッチリ開いているその目は、人のありようを見てきたのか? とすら考えた。

  ◇
 そんな見方をしたことを、いまは反省している。

 19日夜、近所で配偶者と夕食をとった帰り道。その日の昼間に自宅を訪ねてきた女性から聞いた話を伝えた。

「がんで奥さんをなくした男の人が、相手のご両親から『ストレスを与えたからがんになった』と言われることがあるんだって」

 がんをめぐっては「検診していれば見つかる。治る病気だ」とよく耳にする。だが女性は、そのどちらも難しい種類のがんで夫を亡くし、その患者会の代表をしている。

 彼女から聞いたその男性の気持ちを想像しながら配偶者に話していたら、すぐに鼻が詰まった。

「『再婚したらどうか』と言われたり、探りを入れられたりするのが嫌で、子どもを抱えた男性が人前に出たがらなくなることが多いんだって」

 その女性自身、夫を亡くした後、心ない言葉をいくつもぶつけられている。

 そこまで話したときになぜか、「ばかやろう」と言いたい思いが内側から突き上げてきた。ばかやろう、ばかやろう。感極まり、涙声を抑えられなくなった。

 配偶者は私の様子がふだんと異なることに気づいているだろうが、黙っている。近所のスーパーの明かりが近づいて顔を照らし出すころ、私はようやく言葉をつないだ。

「それで俺、言ったんだ。『世の中は地獄ですね』って」

 あとは何も言えなかった。その瞬間、自分の涙声で気づいたのだ。ルソーが「人には憐れみがある」と言ったのは決してきれいごとではない、と。

 私は自分自身の発病をなぜと嘆いたことも、そのこと自体によって涙をこぼしたこともない。

 それなのに今、見知らぬ男性のつらさがひとごとに思えず、こんな涙声になっているではないか。

  ◇
 一時は自らが犯罪に手を染めたこともあるルソー。人の弱さと、そこから立ち上がる力を知るせいだろうか。同じ社会契約説でも、ほかの2人よりも、人への信頼と期待がにじんでいる。

 たとえば、ホッブスは人のあり方を「持っている権利を主権者に渡して、守ってもらう」とみる。またロックも「裏切られたらひっくり返してもよい」としつつ、人は「権利を代表者に渡し、統治を任せる」と唱えた。これに対し、ルソーは「人民が集まって、本当にまじめに討論するなら、そこから正しい公共の利益が見いだされる」と考える。一人ひとりを政治に関わらせ、それを通して人を鍛え上げようとするのだ。

 彼がそう考えるに至る道のりを思うと、また涙が出そうになる。だが、涙がほおをつたわないようにと、目を閉じることはすまい。人は、そして自分とはどんな生き物なのか。目を細めつつ、表情の奥でじっと見つめる。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年6月23日掲載)

ルソーが作曲した「むすんでひらいて」の音符。桑原武夫編「ルソー」(岩波新書)の目次から

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