「難治がん」の記者 「これで死ぬのかもしれない」緊急入院で湧き上がった思い

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。45歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、突如襲った痛みと緊急入院のことをお伝えします。

【病室や検査室に運ばれる直前の筆者の様子はこちら】

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 腹と背中の痛みは、まるで万力で締められたようだ。「苦しい」という自分のうめき声が絵空事のように自宅のベッドで響いた。

 目を開けられずにいると救急隊員が到着し、名前や生年月日、当日の日付を立て続けに聞かれる。コラム掲載の日程から逆算し、かろうじて「20日です」と答える。おなかの人口肛門からゴボッ、ゴボッとゼリー状にあふる鮮血と、口から吐いた茶色いしぶきが目に入った。

 2018年4月20日午前5時45分。救急車に乗るのは人生初である。

ストレッチャーに仰向けになった目の前を、玄関の天井の白、空のブルーグレー、救急車の天井の白と、スマートフォンの画面をスクロールするように、目を開けた瞬間に見える風景が、静止画像で足もとから頭のほうへ流れていく。

 出発前、配偶者に「パソコンを病院に持っていって。電源も」と息も絶え絶えに頼み込んだ。この翌日掲載される「アエラドット」の原稿を仕上げるのに必要だからだ。「異変」が起きたのもそれにかかったところだった。

 まだコラムの話をしている姿に、配偶者は泣きそうな声で私の名前を呼んだ。後から聞くと、「この人はこの場面もネタをキャッチしたと思っているんだろうな」と思っていたそうだ。
 病院に到着しても、仰向けの状態は変わらない。激しく吐き出すと少し楽になった。「これで死ぬのかもしれない」。がんになって初めてそんな考えが頭をよぎった。どうなるにせよ、自分の姿はとどめておこう。検査室に移動する前、自分の様子を写真に撮るよう配偶者に頼んだ。数枚撮ったところで看護師から「撮影禁止」と告げられる。

ならばよけいに文字で場面を再現できるようにと、ストレッチャーで検査室へカラカラと運ばれながら、またも白い天井をにらむ。

 これまで通院や入院の際にストレッチャーで運ばれてゆく人を見ては心の中でつぶやいていたのを思い出した。「明日は野上(のがみ)」。そのうち自分も同じことになるんだよ。要するに「明日は我が身(わがみ)」に引っかけただじゃれである。

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 仰向けといえば、先日、こんな問答が頭に浮かんだ。

「心がつらい時や、体がしんどい時、表にいて一番長く目にするものは何か」

 答えは「地面、アスファルト」。自宅から半径500メートル以内の風景から永田町・霞が関の動きをとらえようとする「半径500メートルの政治記事」の3本目のテーマにできないか、と考えた。

 法整備や税制改正をめぐる業界団体の陳情や、国会審議で「アスファルト」が出てくる場面。下調べは済んでいた。

 白い天井ならば、黒い地面と取り合わせがいい。「欠けていたピースが埋まった」とも思ったが、ここで済ませることにした。きれいにオチがついた文章は今の体調にはそぐわない。

 上下逆さまといえば、落語の「死神」にこんな場面がある。死神に言われて医者になった男。死ぬことになっている病人の布団を持ち上げて頭と足のほうをひっくり返し、呪文を唱えると、病人が息を吹き返す――。

「落語は人間の業の肯定」。「死神」を演じた立川談志の言葉だ。

 こと書くことについては、がん患者となった私もずいぶん「ごうつくばり」だ。我が身の「不幸」も心の汚さもすべてコラムという闇鍋に放り込めないか、舌なめずりしている。そんな私を「ネタキャッチ」とライトに表現した配偶者が私の業を肯定しているかは分からない。ただ、例の「心がつらい時や、体がしんどい時、表で一番長く目にするものは」の問いに「地面」と即答されたときには、参った。私といないときに、彼女が地面を見つめ、足を引きりながら歩いている場面が目に浮かんだ。


 今回は当初、政治記者として7年前に遭遇した東日本大震災の思い出を書くつもりだった。

「今振り返る、政治記者として対峙した『3・11』」の続編だ。

 ただ、フェイスブックでの入院報告に寄せられる励ましを読むうちに、同僚はともかく読者の皆様には、ほぼ唯一のコミュニケーション手段であるコラムで現状を知らせたくなった。

「何か遠方でもお手伝いできることがあれば」と真っ先にコメントを下さったのは、長く働いた永田町・霞が関の知人ではなく、熊本地震で被災した川野まみさん。「阿蘇西原新聞」をウェブ上で創刊し、朝日新聞の「ひと」欄でも紹介されている。人を「自然界の一員」として見る面白さをよみがえらせてくれた関西の予備校講師、三浦良さんからは、配偶者への気づかいも含む4本構成のメッセージをいただいた。疱瘡除けの神様として知られる「鍾馗」(歌川国芳画)は勇壮で、背中に平手で活を入れられた気がした。慶応大の井手英策さんは7年前に生死の境をさまよい、「いま、その瞬間を生き抜きたい」と政治の世界に足を踏み入れた。人間とは、自らの死後も残される家族や友人を思って「辛くなる」「果てしなく優しい生き物」とのコメントから、人間そのものと、それが織りなす政治への希望が感じられた。

  ◇
 入院生活には大きな波がくる日もあれば穏やかな1日もある。

 詳細は省くが、25日はアップダウンの激しい一日だった。

 入院をもたらした原因について、おおむね三つの疑いが浮上し、緊急処置などを含めて対処し、一応落ち着いた。この間、配偶者が私も知らぬ間に病院に呼び出される騒ぎがあり、今もリスクを抱えた状態でいる。

「死」「打つ手がない」。そんな言葉が医師の口から出ることにも、なんとなく慣れっこになりつつある。

 色々考えた。今のところの結論は、こうだ。

 とにかく記者である以上、美しい姿でなくても生きて、ありのままを書けば、その分だけ得点になる。もう失点することはない――。

 真意はおいおいと説明していきたい。

みなさま、今しばらくおつきあいのほどよろしくお願いいたします。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年4月28日掲載)

ベッドから見た室内の様子(左)と天井(右)
病院に運び込まれ、検査室に運ばれる直前の筆者

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