日々からコラムを削り出すのに支えにしていること

働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。

*  *  *
「できる記者っていうのはね」

 父親ほどの年回りの警察官は内緒話のように切り出した。入社4、5年目のころだろうか。「大事な話を聞いても、目が動かないんだよ」

 彼いわく、たいがいの記者は、えっ、と反応し、目が動く。こちらはそれを見てしゃべりすぎたことに気づき、口をつぐむのだ、と。

「その点、あんたはすごい」とほめられたのは私ではなく、隣にいたローカル局の記者だった。警察署からの帰り道、彼は照れた。「俺、何を聞いても大事かどうかわからないから、目を動かしようがないんだよね」。社内の交流人事で、営業から記者になったばかりだったのだ。

 それから十数年の歳月が過ぎた。

 昨年2月。病院で麻酔から目覚めると、闇の中に白衣がぼうっと浮かんだ。

手術後の様子を見に来た主治医だった。こちらの目礼に、困ったように眉をひそめると、視線をそらし、背中を向けた。無言。手術前に「心配するな」とむやみに大声を上げ、肩をたたいて励ましてきたのとはまるで別人だった。

 しゃべらない相手からも真実を探ろうとする。記者とは、実に因果な商売だと思う。医師の姿におのずと悟るところがあった。数日後に手術結果の正式な説明があり、すい臓がんは切除できなかったことを告げられた。

 切除できなければ1年後の生存率は10パーセントというデータがある。このところ改善しつつあるとはいえ、ほかのがんよりも格段に厳しい「難治がん」の一つであることに変わりはない。

 このデータのような状態だと理解すればいいか。主治医は問いかけにゆっくりうなずき、「男、40代。やりたいこともあるだろう」と唐突に言った。最後にやりたいことをやれ。そう聞こえた。

■「通常ないことが体で起きているかも」と医師に言われて

 目安だった1年は過ぎた。再び桜を眺め、夏の暑さを感じることもできた。秋風も吹き始めた。がんは大きくなっているのか、抗がん剤で小さくなっているのか。画像を見ても正常な細胞との境目がはっきりしないためわからないのだと、医師は言う。

「あなたは今、命に関わる状態かもしれない」と言われ、緊急入院したのは2カ月前だ。加えて「通常ないことが体で起きていて、もう普通の食事はできない可能性がある」と言われたときは、家を出がけに食べてきた朝飯が人生最後の食事だったのかと、ぼんやり考えた。今はその状態を脱し、自宅でふつうに三食とれている。通常ないことが体で起きているというのは「仮説だった」と医師は言った。

あなたなら、こんな日々をどう受け止めるだろうか。プロである医師でも判断しかねる病状。まるでジェットコースターのような激しいアップダウン。ふつうの神経ならば参ってしまうのではないか。

 それを「なんか、すごいことを言われているな」とどこか他人事のように聞いてしまうのは、今もこうして文章を書き続けているからだろう。この話を何かに使えないだろうか、あのエピソードとくっつければコラムが一本できるのでは。話に耳を傾けながら、つい頭の中で事実関係を整理し、ノートに書きつけている自分がいる。

最悪の展開を常に頭に置いておく。そのときにどんな対応ができるか、できるだけ早めに見通しを立てるようにする。他人事のように突き放した視線は、病気と闘ううえでも欠かせない。

 もっとも、痛みが増し、体がつらくなれば、そんなものはすべて飲み込まれてしまう。それがこの間に学んだことだ。だからよけいに、できるときにやっておこうと心がける。

■行動の奥底にある人間のもろさ

外出を試みた帰り道。急にぐったりしたとき、隣に配偶者がいれば、左肩に右手を置かせてもらうことにしている。家に着くまでのわずかな時間、それを支えに重い足を運んでいく。

 私にとって、そんな日々から削り出したコラムを読んでもらうのは、このときの感じに似ている。配信されるたびに、フェイスブックでの共有数は百数十人から数百人に上る。数千人ということもあった。お会いしたこともない一人一人の顔を数字の向こうに思い描いては、1人で歩いているのではないと思い、手を伸ばせば誰かがいるような気がして、ほっとする。 がん患者というレンズを通すことで、新たに見えるようになったことばかりではない。昔は見えたはずなのに、ということもある。たとえば政治家の言葉や振る舞いだ。同僚の取材メモを読んでも、憤るべきことより、そうした行動の奥底にある人間のもろさに目が向くことが増えた。自分と同じじゃないか。そう感じることもある。

 そんな人間が書いたものが、どれほど役に立つかはわからない。だが私にとっては、読んでくださる方がいることは心の支えであり、病気にまつわる様々な厄介ごとをしのいでいくための力になっている。

 だから、連載を始めるにあたり、厚かましいけれどお願いしたいことがある。

 もしよければ、ちょっとの間、肩を貸してください。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年9月2日掲載)

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