「難治がん」の記者 「がんかも?」今日からやれる3つのこと

働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

【腫瘍マーカーの値が高かったことを知らせる人間ドックの結果】

*  *  *
 わずか9分の1である。

 割り算すると、0.11111……と、いつまでも「1」が続く。

 月末には春の甲子園が始まる。こんな打率の打者が打席に立っても、マウンドの投手は、まず打たれる気がしないはずだ。

 2016年1月15日、東京・銀座のベトナム料理店。配偶者と向かい合ったテーブルで、足もとのカバンに入っている人間ドックの結果がまさにそれだった。

 一番上の診察所見は「異常なし」だ。以下、「減量に努力」「アルコール量に注意」「食生活に注意」と9項目の見通しが1行ずつ並んだ文面からは、いい加減にやせろ、というメッセージしか聞こえてこない。

ただ、上から3番目の1行だけ、ちょっと異質だった。「CA19-9が高値。胃腸科を受診の上、精密検査を」という腫瘍(しゅよう)マーカーの結果だ。前に頭の手術を受けたことがある先輩記者から勧められた「脳ドック」は申し込みに間に合わず、とりあえずやれるものを、といくらか費用を上乗せして加えた「オプション」だった。

 異質といっても、とくに太字や色で目立つように書かれているわけではない。体重を除けば体にも気になるところはない。

 さすがに電話では軽すぎるが、配偶者に伝えるのは自宅に帰ってからでいい。それぐらいの感じだった。

 そうとは知らない彼女は、帰宅しても、最近あったことを楽しげにしゃべっている。

「そこに座って」。カウンターに隣り合わせに腰かけ、「こんなのが返ってきた」と、病院から届いた封筒をテーブルに出した。ネットで調べた付け焼き刃の知識も交えて、中身を説明した。

 腫瘍マーカーが高値だから病気だとは限らないし、高値でないから病気でないとも言い切れない。しかし、もし病気だとすれば、こんなものが考えられる、と。

「膵臓(すいぞう)がんだったら嫌だな」。わざと独り言のように言い、一番シビアなパターンをそっとすり込んだ。

「大丈夫だよね?」。急な話を飲み込めない彼女は、まゆの間にしわを寄せて、手っ取り早く安心感を求めた。「それはわからない」。はっきりと答えた。

たぶん大丈夫だよ、と相手を安心させたくなるのがふつうだと思う。気持ちは同じだ。だがそれでは、いざ病気だった時にショックが大きく、治療に踏み出すのが遅れるかもしれない。あえて病気の可能性を残し、不安を完全にはぬぐい去らないでおく。そうすれば、結果的に病気でなくても「ああよかった」で済む。

 そのまま間を置かずに、すでに決まっている精密検査の日程を伝えた。ささいなことと思われるかもしれないが「何日の検査を待とう」と気持ちを切り替えられるのと、日程も中ぶらりんのまま週末を迎えるのでは、心のありようが違う。そう思い、週末に入る前に予約を済ませておいたのだ。

 不安は「空白」から生まれる。今後の日程が決まっていないとか、必要な知識を持ち合わせていない、といったことだ。「どんな病気が考えられるか」「いつ精密検査を受けるのか」と彼女は当然、疑問に思う。それに一通り答えられなければ必要以上に不安にさせるだけだ、と漠然と感じていた。

 こんな時だからこそ言い方を工夫し、あえて最悪のケースにも触れた……と思っていたのは自分だけだった。この一文を書くために彼女に確かめると、私は結婚前からいつもそうだった、という。たとえば「きょうだいの家でバーベキューをしよう」という話が出たときも、「これこれの場合は無理かもしれない」といちいち付け加えていたそうだ。

 命に関わる情報と休日の過ごし方では、重みがまるで違うのに、行動パターンが似てくる。まして危機を乗り越えるといった共通点があれば、なおさら対応は似通ってくるのは当然だと、病気になってから気づいた。受験、離婚の危機、子どものいじめ。別々のように見えても、けっきょく人間は同じようにしか対応できないのかもしれない。

 その日の配偶者とのやりとりは「まずは検査を受けてから」で終わった。自分がそれほど検査結果を気にしたという記憶はなかった。

 しかし、これも彼女によると、私の様子はふだんと違った、という。

 ベトナム料理から一夜明けた土曜日の朝。「天気がいいからどこかにお出かけしよう」と言う彼女に、私は「自分がこんな状態なのに?」といった意味のことを言って不思議そうな顔をしたという。その翌日の日曜日、福島に戻る新幹線の出発駅の近くで昼食をとった。私が選んだのは野菜料理の店で、「ふだんなら牛タンとかウナギとか『がっつり』した食べ物を選ぶのに」と思った、と彼女は振り返る。その後、私はデスク勤務のため福島へ。彼女は大型書店でがん関係の本を5冊買い、写真をメールに添付して送ってきた。

実を言うと、私も彼女も、がんの闘病記は1冊しか読んだことがない。それも1度だけだ。がんは種類も進み具合も人によってまるで違う。治療法は日進月歩で進み、書かれている内容がどんどん古くなる。心の琴線に触れる描写も(私にとっては)今後の治療を考える参考にはならないことに、治療が始まってすぐ気づいた。

 誤解がないように強調しておきたいのは、がんの疑いが指摘されたら早いうちに1度は読んでおいたほうがいい、ということだ。

 自分や家族をいったいどんな生活が待ち受けているのか。知識の空白が解消されたとつかの間でも感じられれば、安心して治療に向かえる。私のように現在進行形ではなく、治療が一段落した人が書いたものならば、希望も感じられるのではないか。

 闘病記には色々な読み方がある。読書をきっかけに人生を見つめ直す人は少なくないだろう。中には、感動の涙を求めて読む人もいるかもしれない。

 私自身は、危機に直面した人がものを考えるのに少しでも役立てれば、と願うばかりだ。私の考えを否定し、「自分は違うやり方をする」と思っていただければ、それで十分だ。

 さて、私が福島で通ったスポーツクラブには「運動不足は緩慢な自殺です」という貼り紙があった。もともと膵臓がんは早期発見が難しいのに、腫瘍マーカーを利用しないことも、考えようによってはこれと似ているかもしれない。

 多少遅れたものの、マーカーでがんを見つけられて私はよかった。その後に笑い、心震わせたできごとを振り返るにつけ、そう痛感する。体の異変で発見した場合、亡くなるまであまり時間がない、とも聞くからだ。

 一方で、世間にはこう考える人もいるかもしれない。「だったら自分はマーカーをつけない。そのほうが死におびえる時間が短くて済む。もう十分に生きた」

 もしも自分が「がん」とわかったらどうするか。これまで危機を乗り越えた経験を思い出しながら、シミュレーションしてはどうだろう。「考えただけでがんになってしまいそうだ」と、気が乗らない人もいるかもしれない。だが2人に1人ががんになるということは、夫婦の片方あるいは両方がなる場合を合計した確率は4分の3ということだ。親きょうだい、友人や子どもまで加えれば、これはさらに高まる。それなのに縁起を担ぐことにどれだけ意味があるだろう。

がんと付き合うときに何よりも大切なのは、自分の「スペア」になってくれる相手との関係だ。

 病気による痛み、抗がん剤の副作用、手術前後の麻酔。ふだん通りに頭が働かないケースはいくらでもある。そのとき、相手が自分並みかそれ以上に知識を持ち、同じ価値観で判断できるかどうかは、人生すら左右しかねない。スマートフォンを落とした時のためにデータを同期するのとは違い、相手から教えられたり、話し合いによってお互いの理解が深まったりすることもある。

 いざという時、あなたが頼みにするのは誰か。その人とは、どんな関係を築いているだろうか。

 大切なのは常に、いまこれから。変えうる将来だ。

 お読みになったみなさんは、例えばこんなことをやってみてはどうだろうか? 経験者である私からの提案は下記の3点になります。

【がんかも? 今日からやれる3つのこと】

 (1)本気でがんを早く見つけたいか、それは誰(何)のためか、考える。検査に万全を期しても早期発見できるとは限らないことも知っておく。
 (2)がんかもしれない、と言われたら、誰にどんな言い方で伝えるか。安心感ほしさに楽観せず、最悪の展開も考える。検査の予約などは早めに。「空白」をつくらない。
 (3)パートナーとの関係をよりよくするために何ができるか。これを読んだあと、実際にやってみる。
  ※主に患者本人を想定したもの。考えるときはいつも具体的に、情景を思い浮かべながら。いったん決めてもちゅうちょなく修正すること

 この文章を書いている最中、ふと思い立ち、外出ついでに桃の花を買ってきた。偶然だが、これが公開される3月3日は「桃の節句」。帰宅した配偶者が喜ぶ顔を見るのが楽しみだ。

次回のコラムで私たち夫婦はついに病名を知ることになる。連日の検査で膵臓がんに絞り込まれていく日々は、自分の仕事、そして人生を振り返る機会でもあった。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年3月3日掲載)

腫瘍マーカーの値が高かったことを知らせる人間ドックの結果と、配偶者への説明前に自分あてに送った4本の「無題」メール。後で読み返せるように、マーカーに関するホームページのURLを貼り付けた
私が読んだ唯一のがんの闘病記「がんと向き合って」(朝日文庫)。筆者は会社の先輩。やはり先輩記者である高橋美佐子さんとのご夫婦は、私よりもはるかに深く、広い視点からがんやがん患者というテーマに取り組んできた

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