難治がんの記者 容態急変、「書こう」で意識を取り戻す

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、突然の異変とその時に野上記者が取った行動について。

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 異変は突然現れた。12月3日早朝、起き抜けに嘔吐するやいなや、急に体に力が入らなくなった。どこかに吸い寄せられるような、吸い上げられるような不思議な感じがした。意識と力の拠り所が見つからない。「もうダメだ」と観念した。いつの間にか、看護師が大勢来て、忙しく飛び回っていた。「家族を呼んでくれ」と頼んだ。

 処置されている間中、看護師や医師に「質問してくれ」と何度も頼んだ。何か質問され、答えようとするたびに頭を使って意識が整理される。なぜこのようなことをお願いしているのか、その理由も説明した。理由を説明しないと、奇妙なことを言い出した、と片づけられてしまいかねないからだ。それと同じように、体のどこかをつねるように頼んだ。それも、つねられれば、そこに意識がうまれるからだ。これも同じように理由は説明した。

医師が「奥さんの名前は何ですか」と聞いたので答えた。忙しいのか、配偶者の名前に関するやりとりだけで、質問は途切れた。自分からは「今日はどんな天気ですか」と質問した。答えは覚えていない。途中で、いま起きていることを文章にしようと思った。そうすると、意識が戻ってくることに気づいたためだ。

 早々に配偶者を呼んでくれとお願いしていた。しかし、配偶者の到着は実際には10時過ぎと遅かった。これは、病院内もしくは病院から配偶者への連絡が一部で滞っていたせいかもしれない。

「野上さんだいぶ落ち着きましたね」と看護師が言った。このころには、私も冗談を言う余裕を取り戻していて、「おかげさまで。三途の川は見えなかったですけど」と答えた。ベテランの看護師が「三途の川は見えたんですか」と聞いた。「いや見えなかったんです」と念押しした。ただこの余裕も束の間のことだった。

 4日未明から、むずむず脚症候群を発症し、脚がむずむずしていてもたってもいられない。そのための薬を投与した。そのせいで、今度は眠気が襲ってきた。「脳みそがとろけそうだ」と配偶者に言った。

 体の苦しみは、続いていく。その話はまた別の機会にお知らせしたい。

※この連載が書籍になることが決まりました。その作業のため、今後は事前の告知なく連載をお休みする場合があります。ご了承ください。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年12月8日掲載)

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