「難治がん」の記者が信じるのは、難病のつらさを知る安倍晋三さんだ

働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

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 言われた首相の安倍晋三さんは覚えておられないだろうが、なぜあんな言葉をかけたのか、私は今も悔やんでいる。

【2012年にインタビューしたときの安倍さん】

 政権に返り咲いて1カ月もたたない2013年1月。2度目の首相に就いて初の海外訪問中にアルジェリアで日本人の人質事件が起きた。日程を切り上げて帰国する政府専用機の中で、こう声をかけた。

「お体を大切に。頑張ってください」

 これに先立つ訪問先での記者会見では、同行していた世耕弘成官房副長官(当時)に政府対応が十分か問いただした。だが人質を取り返す交渉は政府に委ねるよりない。若干、感傷的になっていた。

 安倍さんは07年、持病の潰瘍性大腸炎による体調不良もあり、政権を失っている。だから言ったのだが、紺色のスーツに黄色いネクタイ姿の相手はけげんそうな顔をした。無理もない、こちらは閣僚の「政治とカネ」などの問題を当時攻め立てた朝日新聞の記者なのだから。そう単純に受けとめた。

 だが、自分が膵臓(すいぞう)がんで取材の一線から退き、「頑張れ」と繰り返される立場になると、そればかりではない気がしてきた。

 言われなくても、あなたが思う以上に、とっくに頑張っている。体のしんどさも心のつらさも何一つ知らないくせに、気軽に言ってほしくない。

 これは私が感じたことだが、同じように思っていた患者はほかにもいたから、安倍さんもそう受けとめた可能性はある。安易に口にすべきではなかった。

 がんでも大腸炎でも、治療の前提になるのは情報だ。

 私は都内の病院で定期的にCT検査を受ける。その結果を知らされるのは毎月、最も緊張する瞬間だ。「野上祐さん、診察室にお入りください」。待合室にアナウンスが流れ、仕事を休んできた配偶者と一緒に診察室に入る。

 膵臓がんに使える抗がん剤は多くない。外見に表れなくても血液検査で体力が落ちていたり、耐性ができていたりすれば、今使っているものも昨年の1種類に続いてあきらめなければいけなくなる。その兆しはないか。カチッ、カチッと主治医がマウスをクリックする音が響くなか、パソコン画面上のモノクロ画像を見つめる。

 最近では3月9日がその日だった。「大きな変化はないようです」。隣で配偶者がほっとする気配を感じた。「よかったね。」診察室から出て、彼女の肩をぽんとたたいた。

 次のCT検査まで1カ月間、時間をもらった。返事を放置していた2件のお見舞いの申し出に「その日程で大丈夫です」とスマートフォンからメッセージを送った。

 そんな日々を送るようになったからだろう。情報が大切なのは、ものごとを決める判断材料になるからだ、と実感する。

 こと医療に関しては、安倍さんほど情報の大切さを肌身で知る人は永田町にいないのではないか。首相復帰後の「首相動静」の記事を検索すると、年2回の割合で「東京・信濃町の慶応大病院。人間ドック」との記載がある。16年には京都市内の会合でこうあいさつしている。「マイクロセンサーのロボットがあったらいいなと思います。腸にぬかりなく目を配って、潰瘍性大腸炎が落ち着いているか見てくれるロボットです」

宿願の憲法改正に取り組む時間はどれぐらいあるのか。健康に神経をとがらせていることは間違いない。

 同じ病気を抱える同僚は15年春から安倍さんと同じ「アサコール」という薬を毎日飲み、年1回の内視鏡検査の画像に目をこらす。だが仮に悪化していても、ほかに薬はなく、できるのは食事量を調整してトイレの回数を減らすことぐらいだという。ほかの病気の可能性まで考えると、父親の晋太郎元外相を膵臓がんでなくしている安倍さんの真剣さは私どころではないかもしれない。

 最近、学校法人「森友学園」との国有地取引に関する決裁文書の改ざんが朝日新聞の報道で明らかになった。

 自身や昭恵夫人が関係しているかと切り離しても、判断材料としての情報の重みを知る安倍さんならば、問題の大きさがわかるはずだ。

 政権は憲法改正をはじめとする様々な政治課題を推し進める。それを可能にするのが、国会での議席数だ。

 改ざん前の文書に沿って国会答弁がなされていたら、昨年10月の衆院選で与党は今ほどの議席数を得ていなかっただろう。もちろん、衆院選に踏み切らなかったことも考えられるが、そこで勝った勢いがなければ、今のように改憲に前のめりになれていただろうか。

これが医療ならば、有権者は医師から正確な情報を伝えられないまま、治療法や主治医を続けるか、変えるかを決めたようなものだ。

 憲法を英訳した「constitution」には「体質」という意味もある。体調を示す情報に人一倍気をつけてきた安倍さんが、不正確な情報に基づいた力で国の「体質」を変えようとしている。ブラックジョークとしか思えない。

 私のコラムには「記事の捏造によるストレスががんの原因だ」といった趣旨の感想が寄せられることがある。前半部分は、安倍さんが繰り返してきた朝日新聞批判の影響もあるのかもしれない。だが、安倍さんはこの感想を寄せた人のように、報道批判を病気に結びつけることはないだろう。いわゆる「弱者」へのまなざしをめぐり、忘れられない思い出がある。

 日朝平壌宣言から10年となる2012年9月。首相に復帰する3カ月前、日本人拉致問題に長年取り組んできた安倍さんにインタビューをした。議員会館の部屋を出ると、若い女性のカメラマンが「安倍さんって、いい人ですね」と言った。機材の準備から撮影と忙しく立ち回る彼女がやりやすいよう、声をかけてくれたのだという。

「ほかの人はそうじゃないんですか?」と尋ねた。違います、と彼女は言った。

 強引な政権運営や政策の一つ一つを見れば単純に「いい人」には思えない。政治家なんて誰にでも愛想よくするものだ。そう感じる人は多いだろう。

 だが、目の前の記者に笑顔を振りまきながら、肉体労働のカメラマンをぞんざいに扱ったり、目に入らないかのように振る舞ったりする人は確かにいる。ベテランの男性カメラマンでない彼女ならば、なおさらだろう。その「違います」には、多くの被写体に接してきた彼女なりの確信が感じ取れた。

 それから6年。病気のつらさを知り、ようやく安倍さんに追いついた。森友問題の渦中にある相手に、今ならばなんと声をかけるだろう。

「昭恵夫人の国会招致に応じ、真相を明らかにすべきだ」か。そんなことは当たり前だ。自分が付け加えるまでもない。

それでは「国会の正統性を取り戻すために衆院選をやり直せ」だろうか。初めはそう考えたが、それには600億円といわれる費用も、時間もかかる。それなら人々の暮らしや命を左右する政策に使ったほうがいい。

 となると、かける言葉は一つしかない。

「安倍さん、今思っていることを、ありのまま語って下さい」

 先日、財務省近畿財務局の男性職員が亡くなった。これを書いている時点ですでに、例の改ざんに関係した自殺だとうかがわせるメモの内容をNHKが報じている。

 自死を選ぶまでにはどれほどの葛藤があったのだろうか。生きようとしている自分には想像できない苦しみの大きさに、立ちすくむばかりだ。

 もちろん「改ざんとの関係は分からないが、亡くなったことは痛ましい」と述べて済ます手もある。だが安倍さんがそうするとは、私には思えないのだ。

安倍さんといえば靖国神社へのこだわりで知られる。13年末に参拝した時は「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた」英霊に尊崇の念を示し、冥福を祈った、と語った。

 もちろん自殺と戦死では扱いが違う。経緯にも分からない部分が残されている。それでも今回の男性は、結果として国のために命を落としたことにはならないか。その死を一国の指導者としてどうとらえ、自らの身を処すべきだと考えるのか。

 政治家としても個人としても、人の命や病気に向き合ってきた安倍さんだ。亡くなった男性と遺族の無念さに思いをはせ、何かを語らずにはいられないと信じている。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年3月17日掲載)

「日朝平壌宣言から10年」のインタビューに答える、首相復帰直前の安倍晋三・自民党総裁=2012年9月7日午後、東京都千代田区 (c)朝日新聞社

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