思わずつぶやいた「おれもがんばろう」 がんと闘う記者

病気になると、面会やメールでよく言われるのが「がんばって」だ。

 これほど多く言われるのは大学受験の時期以来で、言われた時の気持ちも、深刻さを除けば、ほぼ同じである。

 「もう、とっくにがんばってます」

とはいえ、いきなり病人になった知人に対し、それしか言いようがないのもよくわかる。わざわざ病院に足を運んでくれた人たちに「もう、とっくに」などとはとても言えない。

 面会の別れ際。そろそろあの言葉がやってくると感じると、先んじて「がんばります」と言ってしまう。相手も善意だ。気持ちよく帰ってもらいたい。また、わざわざ言葉を選ぶわずらわしさも避けたい――。いろいろな感情が入り交じる。

 がんばれ。それは近さと遠さを感じさせる言葉だ。

     ◇

 「なに、なに」。配偶者がこう聞いてきたのも無理はない。テレビで野球のニュースを見ていた私が、病気になってから上げたことのないほどの大きな声で叫んだのだから。

 「しだ、か!」

 そうか。今年3月のワールド・ベースボール・クラシックWBC)の中継で名前を呼ばれていた日本代表の「しだ」スコアラーは、あの志田宗大君だったのか。

 朝日新聞の記者は入社2、3年目に高校野球を担当することが多い。入社の翌年、初任地の仙台支局で取材したのが、宮城代表・仙台育英高の主将だった志田君だ。

 打つ、守る、走るの三拍子。何しろ東北大会の決勝戦でサイクルヒットだ。円陣でチームに指示を飛ばし、まず自分がやってみせてしまう。神がかっているように感じた。地方大会前に書いた宮城県版の高校野球連載の内容で嫌な思いをさせたときも、志田君は少しすると、何事もなかったかのように自分に寄ってきてくれた。

 WBCでは、スコアブックらしきものを手にした彼がベンチで仲間にすーっと寄り添う姿を何度か見た。その姿が、かつてと重なった。

 甲子園出場、大学野球の名門、青山学院大からプロ野球のヤクルトへ。彼は日の当たる道を歩んできた。そして現役を引退した今もなお、チームの勝利を支える「縁の下の力持ち」として、この世界に生きていた。

 彼がどれほどの男か。しばらく夢中で配偶者にしゃべり続けた。一息ついたとき、思わずつぶやいていた。

 「おれもがんばろう」

 配偶者が、えっという顔をした。

 「がんばる」は重い言葉だ。それを言わせる力が彼にはあった。

     ◇

 さて、「がんばる」といえば「選挙」だ。自民党がかつてない負け方をしたこの東京都議選もそうだが、名前に続いて連呼される「がんばります」を何度聞いたことか。

 軽すぎると思っても、社会のこれからを託す身とすれば、その言葉を守ってもらうよりない。

 だから心の中で、こう呼びかける。

 本当に、本当にがんばれよ。

     ◇

 野上祐(のがみ・ゆう) 1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中。

(出所:朝日新聞デジタル(AERA.dotに転載)連載「がんと闘う記者」、2017年7月15日掲載)

野上祐記者

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