難治がん指摘から2年9カ月… 「死ぬ死ぬ詐欺」を考える

うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「死ぬ死ぬ詐欺」について。

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 がんでなくなった女優の樹木希林さんが生前、「死ぬ死ぬ詐欺」という言葉を朝日新聞のインタビュー記事で使っているのを見た。記事には「元気そうに見えるらしくて、『死ぬ死ぬ詐欺』なんて言われてますけどね」とあるから、言い出したのは別人らしい。

 実は私も、この言葉をもっと前に思いついていた。この言葉にこもる思いをいつかコラムで書きたいと思っていただけに、記事を見た時は「抜かれた」(記者用語で「他社・他者に先に報じられた」)ようで、ちょっと残念だった。

 その流れで過去記事を検索したところ、落語家の桂歌丸さんもこれを使っているのを見つけた。「まだ生きてます」「死ぬ死ぬ詐欺なんて言われてます」と噺(はなし)のマクラに使っていた、と朝日新聞の朝刊コラム「天声人語」に出てくる。

 やれやれ、と嘆息したが、ここまでなら女優、落語家という言葉のプロたちだ。同じ言葉を思いついたことをむしろ光栄だと思わなくては、とぼんやりネットを眺めていたら、ネットでは前からよく使われていた、という趣旨の文章を見つけてしまった。オリジナリティーのある巧みな表現だと、うぬぼれていた自分を恥じた。

 それによると「死ぬ死ぬ詐欺」の中には自殺をほのめかして周囲を脅すような犯罪的な例もあるらしい。だが、樹木希林さんや歌丸さんの言葉には、しゃにむに生きようとするのとは反対の「なんか、思ったよりも長生きしてしまって……」という照れや気恥ずかしさ、乾いたユーモアが漂っている。

 私の「死ぬ死ぬ詐欺」はこれに近いような、近くないような、独特のニュアンスだ。一つの目安だった「1年間」をクリアした昨年。お二人ほど超然とした心境ではないものの、自分の中に「死ぬ死ぬ詐欺」という言葉が思い浮かんだ。

1年たっても下降線をたどる生存率。自分はそれにあらがうように、目の前に次々現れる壁を乗り越えようと、1日1日を過ごしている。

 だが時間がたつにつれ、お見舞いがぐっと減るなど、周りとの温度差がどうしても出てくる。病気をめぐる苦難・苦闘をコラムにいくら書いても、周りには「死ぬ死ぬ」と騒いで同情をだまし取ろうとしている「詐欺」に見えてしまうのでは、と疑心暗鬼が生じてくるのだ。生きながらえれば「騒いでいただけでやはり大したことはなかったのだ」と誤解されやしないか。そんなふうに頭が働いてしまうのだ。

 7月にスタンダップ・コメディーの舞台に上がった時もそうだった。体調が悪くなれば土壇場で遠慮させていただくつもりで本番に臨んだが、そうした目立つできごとがあれば「もう体は大丈夫なのでは」と周りは当然みるだろう、と想像してしまう。

 実際には舞台を挟んだ4月、9月にそれぞれ「命が危うい」局面があったにもかかわらず、心のどこかで他人の視線を気にして、コラムで体調に触れることに後ろめたさを感じてしまうのだ。

 もちろん、それを解消したいからといって「さっさと死にたい」とは思わない。しかし、「実際に死んでようやく『死ぬ死ぬ詐欺』ではなかったと理解されるのだろうな」と感じたことはある。

 だが考えてみれば、そうして他人の目を意識することに意味はないのだ。

「命が危うい」局面を脱した時に喜んでくれる人ならば、同情や心配を「だまし取られた」とは思わないだろう。逆に「心配して損した」という人が万が一いたとして、その人の目を気にする必要があるだろうか。

「死ぬ死ぬ詐欺」は樹木希林さんのように、軽口に使うぐらいがちょうどいい。性格とはいえ、重苦しい方向へ考えてしまう自分にあきれるばかりだ。

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 今月20日。13回目の入院生活は28日目を迎えた。食事は全面禁止が続いており、口にできるのは水分とアメ、塩だけだ。散歩は誰かが付き添えば、同じ階に限って許されているものの、忙しい看護師に付き添いを頼むのはしのびない。結局、夕方、仕事帰りの配偶者と2人でしゃべりながら回廊をぐるぐる回ることになる。

先日、話題に上ったのは、知り合いの医師たちが私の治療歴を知って「困難を乗り越えながら2年半以上頑張られていることに皆、驚嘆し」た、という話だ。「1年後に9割は死んでいる」イメージを抱えていた自分が、根治に不可欠ながんの切除もできないまま2年9カ月間、生きている。それは医師も「驚嘆」するようなことだと知って「驚嘆」した。

 忘れられないのは、今年4月に初めて救急搬送された時のことだ。動脈瘤(りゅう)の処置を終えた医師たちから「やった!」と歓声が上がった。あれは大げさに騒いだのではなく、命がけの本当に危険な局面だったのだ、と2人で改めて胸をなで下ろした。

 体の先行きが読めて「今度こそ死ぬ」と言えれば、会いたい人に会う算段をつけやすいなど、便利な側面もあるだろう。

 しかし、実際はそんなわけにはいかない。できるのは「一期一会」を意識し続けることぐらいだ。

 知り合いが見舞いにくるならば「これが最後かもしれない」と覚悟して会い、見送ったらまた心の中で同じことをつぶやく。だがあまりにも「最後」を気にすると、今度は切羽詰まったような、息苦しい気分に陥りかねない。

 そんなとき、見舞客が言い残す「また、来ます」はありがたい。自分にはまだ「また」の機会がある、と思えるからだ。

「最後」と「また」のバランスをどうとるか。今日も、自分は試されている。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年10月20日掲載)

樹木希林さん (c)朝日新聞社

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