「難治がん」の記者 27日のAbemaTV出演が決まって考えた「道具」としての笑顔

働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

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 今から20年以上前のことだ。大学の道場のドアを開けると、カッターナイフを握りしめた男が目の前に立っていた。

 その向こうで、同じ合気道サークルの同級生がなだめようとしているのがみえる。彼を残して警備員を呼びにいくのも気の毒で、男の様子に注意しながら道場に入った。

 男は貧弱で、へっぴり腰。一夜の宿代わりに道場に潜り込み、私たちに出くわしたようだった。1対2になって焦ったのか、男は唐突に口走った。「僕は君たちみたいに柔道をやってないから、こうするしかないんだ!」

 つい心の中で突っ込んだ。自分が柔道をやっていたのは中学と高校で、今は合気道なんだけど――。

 カッターを手に突っ込んできてもたぶん抑えられるが、もしものことを考えたらこないほうがいい。ここはひとつ相手に余裕を見せ、そんなことをしても無駄だとわからせよう。

「ハハハッ」。大きめの笑い声を聞かせると、男は逃げ出した。どこかで暴れるといけない。すぐに警備員に連絡するよう、同級生に頼んだ。

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 私とすい臓がんとの付き合いはもう1年10カ月にもなる。あの時の男と違って刃物こそ持っていないが、笑えば逃げ出してくれるほどやわな相手でもない。

 にもかかわらず、これまでと変わらず笑顔でいることの大切さを感じることは多い。

 それは「明るく元気に」といった精神論よりも、心をコントロールするための実務的なコツとか道具のようなものだ。

 治療のことでいうと、がん患者になって驚いたのは、自らがある治療法や検査を受けることに同意するか、選択を迫られる場面が多いことだ。それに先立ち、副作用や代替手段の説明を医師から受ける。

そのとき、眉間にしわを寄せて「闘病」していたらどうだろう。病気で頭がいっぱいになっていて、冷静に物事を判断できるだろうか。

私の場合、見舞いに来てくれる方が多かったことに助けられた。延べ人数は身内を除いても昨年6月に200人を超え、今は500人に近づいている。相手が余計な気を使わないように笑い話をしながら、病状を説明することを繰り返す。それによって、自分を他人のように突き放してみることが前以上にできるようになった。

 それが執筆につながっている。

 昨年7月、病気になって初めて書いた「リスクも語ってほしい がんと闘う記者が感じた参院選」(紙面用の短縮版は「リスク説明 政治も医療のように がん患者になって見つめて」)はもともと載せる場が用意されていたわけではない。

 ただ、これまで通りの顔をしていると自然とアイデアが浮かび、書かずにはいられなくなった。

 患者は一定の範囲で医師に信任を与える。その関係は有権者と政治家のそれに似ている。だとすれば政党や候補者は選挙戦で医師と同じように、政策の効用と一緒に副作用も語るべきではないか――といった内容だ。

 笑顔は仕事の幅も広げてくれるようだ。

 頼むほうにすれば、いかにも元気がなさそうながん患者に仕事を任せて倒れられたら、後味が悪いだけでなく、成果物も回収できない。ふつうは二の足を踏むのではないか。

 どこまで「顔」のおかげかはわからないが、最近、仕事の声がかかることが多い。23日には、医療関係者向けの講演会に画像出演するための撮影を自宅で終えた。来年2月に朝日新聞に載る予定の原稿も任された。これなら満足に指が動かず、体調が急に悪くなるおそれがあっても、対応できる。今のうちに――。そう、今のうちにできるだけ書き、しゃべらなければならない。

 がん患者でいることは面倒くさい。

 私にとって「死」は日常生活の延長線上にあり、それほど特別なものではない。だが多くの人は違うから、コラムで何気なく書いたことを読んで「思いつめているのではないか」と誤解する人が出てくる。私からすると、「体を第一にしたほうがいい」という心遣いだろうと、暴力による脅しだろうと、コラムを載せにくい状況になるのは困る。

かといって、自分は思いつめていないとわかってもらうには手間がかかる。手っ取り早く誤解の芽を摘むには、笑顔でいることが一番だ。

 もちろん、楽しそうにしていることにも「副作用」が付きまとう。「好きな仕事だけやって楽をしている」と勘違いされる心配だ。配偶者に話したら「そんなこと、誰も思わない」と笑われた。まあ、私の様子を毎日見ているからそう思うのだろう。

 先ほど笑顔をコツ、つまりテクニックと表現した。笑顔にも体力がいるから、最小限のやりとりしかしてこなかった医療関係者は私に対して、どちらかといえば不愛想な印象を持っているのではないか。発病前に苦手だった人間は苦手なままだ。先輩記者と話していた時、共通の知り合いの悪口を言ったら「お前、変わってないな」とあきれられた。「病気は人を聖人にはしないのです」と返したら、ひどくウケた。

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 大学時代に小さな映画館で「サリヴァンの旅」(1941年、米国)という作品を見た。

主人公サリヴァンはコメディ映画の監督。これからは社会派のドキュメンタリー作品を撮ろうと決心し、社会の現実を見るための旅に出る。トラブルで刑務所に入った彼は、慰問でかかった映画に笑い転げる受刑者を目の当たりにし、自らも笑い出す。なんとか脱出に成功すると「笑いは、誰もが持っている無限の力だ」と、映画づくりの仲間に宣言。改めてコメディの世界で生きていこうと決心する――という内容だ。

最も価値がある職業は何か。それは人を楽しませたり、いい気分にさせたりする仕事だと、映画を見終えた私は考えた。それができないとしたら、楽しめる世の中を支える「社会派」として生きるしかないのではないか。そんな思いが新聞記者という現在の仕事につながっている。

 実を言えば「サリヴァンの旅」は少々説教臭く、あまり好きな作品ではない。なのに時々思い出す、不思議な映画だ。

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 笑いと社会派を対比させたこの作品を久しぶりに思い出し、パンフレットに載っている脚本を読み返したのは、お笑い芸人の村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)がMCをする社会派のネットテレビ番組に27日に出演することになったからだ。

 SMAPの元メンバーによる「72時間ホンネテレビ」が話題になったAbemaTVの「Abema Prime」(午後9~11時放送)。村本さんは、私のコラムが9月に朝日新聞デジタルから朝日新聞出版のサイト「アエラドット」に移った後、ある回をツイッターで紹介してくれたこともある。

笑顔の延長線上で巡り合った貴重な機会である。がんになって以降、この時間帯に表にいること自体が初めてだが、体調を崩さずに最後まで楽しみたい。

 よければご覧ください。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2017年11月25日掲載)

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