「難治がん」の記者が問う「がんよ、私のなにを変えられた?」

働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。

【野上さんに「言葉」をくれた本はこちら】

*  *  *
 自分が本を警戒しはじめていることに気づいたのは、去年の夏だ。

 たまたま立ち寄った本屋で、平積みにされた山田風太郎の随筆集『半身棺桶』(ちくま文庫)の山から1冊手に取り、中を見ないまま山に戻した。

 生死が入りまじったような書名が、9月に始まる連載のタイトル「書かずに死ねるか」に似ている。だから手を出したが、表紙のそれを眺めているうちに「読むとまずい」という思いが急にわいた。

 それから数カ月たった先月3日にも、似たようなことがあった。高熱で入院中に見舞客から加賀乙彦『死刑囚の記録』(中公新書)を手渡され、めくってすぐに返した。

相手は京都総局の安倍龍太郎記者。一緒に病院に来た政治部の松井望美記者と同じく、私が4年前まで首相官邸を担当していたときの後輩だ。青酸化合物による連続不審死事件で死刑判決を受ける筧(かけひ)千佐子被告と拘置所で面会を重ね、その心理に迫る記事を書いてきた。

 書く参考にしたのだろう。中を開くと、あちこちに傍線が引かれている。目次に「明るい死刑囚」といった意味の文言がある。読んでみるかとそのページを開き、読み出す前に気が変わった。「ちょっとこれはやめておこう」。そうつぶやいたのを覚えている。

 がんにどう立ち向かうか。一昨年にその疑いを指摘されたあと、知恵を借りたのが本だった。

 冷静に対処するため、心の振れ幅が小さくなるように心がける。身内や知り合いに病状や対処方針を言葉に出してみることで、病気と距離を保ち、方針を自らにすり込む。活字に接しながら練り上げた言葉が、その武器になった。

 状況が良くないときに落ち込み過ぎないよう、良いときにも「一喜」すまい。そうした考えに血を通わせるのに、前に読んだ漫画『犬犬犬』(花村萬月作、さそうあきら画、小学館)が役立ったことは前回、紹介した。

また、ナチスの強制収容所に入れられた人々の心理を当事者が記録したフランクル『夜と霧』(みすず書房)にも助けられた。

 人々は収容当初、土壇場で恩赦があり「死刑」から逃れられる、と妄想する。やがて自己保存のために感情が消滅し、生きることに意識を集中させる。心理学者の著者は、今の苦しみについて暖房の効いた大ホールで講演する自分の姿をありありと思い浮かべ、苦しみを観察・描写することで、それにとらわれずに済むようになる――。その指摘は、コラムを書くようになった今、いっそう腹に落ちる。

 それだけ頼りにしてきた本を読まずに戻したのは、興味が消えたからではない。むしろ興味が強まり、危機感を覚えたのが原因だ。

 たとえば『半身棺桶』だ。手にしてから戻すまでの数秒間の頭の動きを再現すると、こうなる。

 コラムは自分が考えたり、感じたりしたことを書く。それなのに、同じテーマについて誰かが自分以上に考え抜いたものを読めば、本にすがるのに慣れた自分が丸呑みされ、受け売りし始めるのは避けられない……。

 そうした受け売りは、鵜飼いの鵜が飲み込みかけた魚をその姿のままはき出すようなものだ。ふだん通りスマートホンの画面上に人さし指を滑らせ、コラムの体裁を整えても、自分が書いたことにはならない。

 2度目の『死刑囚の記録』を避けた理由は、より重大だ。

 がんへの対処方針が揺らぎ、壊れかねない。それを恐れたようだった。

 私はがんになってからも「落ち着いている」とよくいわれる。それは自分が決めた対処方針に沿い、心をコントロールしてきたからだという自負がある。ところが、それが「死刑宣告」を受けた人間のほとんどにあることだと本に書かれていれば、話は変わる。大切なのはがんに伴う厄介ごとにいかに対処するかだ。心理学的に何が正しいのかを知ることに、あまり意味はない。自分の努力との関係を疑いだしたら、立ち向かう力が弱まるようにそのときは思えたのだ。

考えてみれば、多くの患者を診察してきたベテラン医師からの「泰然自若としている」という評価にうそはないだろう。自分の心がけとまったく関係ない、との結論になるとは考えられない。

 心の中のことでいうと、苦しい、つらいといった「うめき声」をコラムに書けば、よりがん患者らしく読者の目に映るのでは、と想像することがある。だが難しいことに、自分の場合、言葉が整い、「きれいごと」ととられそうな言葉のほうが、まず本音だ。

 膵臓がんに比べれば生存率がシビアでない「ほかの臓器であれば」と願った……。疑いを指摘されたころの心境を、そのように4日朝刊の記事で書いた。だが言葉を補うと、それと同時に、どこのがんか白黒つけたい、という気持ちが強かった。どんな手を打つのか、早く判断したい、と。

 変えられることと変えられないこと。自分はそう二つに分け、今から変えられることに関心が向く人間だ。その頭の中をさらけ出すと、変えられないことに対して割り切れない思いを抱える患者像とはズレが生じるのではないか。

とはいえ、気づいたらこうして言葉を並べ立てているのは、自分のことを理解してほしいとどこかで願っているからだろう。それを人は、本音とか、率直な思いと呼ぶのかもしれない。

 さて、本の話からかなり脱線した。

 私はいわば、言葉という「針」で全身を固めたハリネズミだ。それを緊張させることで自分、そして配偶者を守ろうとしている。その言葉を手に入れるために、本、そして人にすがろうとする。逆に、危うくしかねない言葉は遠ざけようと、本をより好みし、距離を置くようになった。

 これは、こちらから言葉を発するときにも言えることだ。コラムで扱うテーマの興味深さや文章のわかりやすさを、いつの間にか後回しにしていることがある。

 それでも、少しでも相手の心に届く文章にしようと、書いたらまず配偶者に読んでもらうことにしている。今回の原稿もある朝、出勤前の彼女に書きかけを見せた。

「最後は『いま自分が着ているパーカーもネズミ色です』にしたら?」

 その冗談に、こう返した。

「確かに自分はネズミ年生まれでもあるしね。だけど、灰色には『白黒つけない』ニュアンスがあるから、敵味方をはっきり分けるハリネズミに合わないよね」

 やはり理屈っぽい。けっきょくそんな性格を自分は気に入っているのだろうと思い、ふと気づいた。

 確かにがんは強敵だ。急に目の前に立ちはだかったかと思えば、体調や人との付き合いにさまざまな面倒を引き起こし、私が生きる世界を変えた。

 しかし、と思う。がんが一体、私の何を変えたのか。

 他人事としてみれば、もっと感情に押し流され、自暴自棄になっていてもおかしくない気がする。なのに自分は、良くも悪くも「相変わらず」だ。頭の中や置かれた状況をすべて言葉で説明しつくせないと、落ち着かない。そんな私を私たらしめている理屈っぽさを、がんはみじんも変えることができていないではないか。

 他人事としてみれば、単に成長していないだけ、と思われるようなことかもしれない。なのに本人は、気づいたら指先から生まれていた画面の言葉を読み返し、ちょっと身震いをした。

(出所:AERA.dot連載「書かずに死ねるか―『難治がん』と闘う記者」、2018年2月17日掲載)

私に「言葉」をくれた本の一部。阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)にはこんな一節がある。「だれかを理解するということは、その人のなかに自分と共通な何か基本的なものを発見することからはじまる」。これを読み、本を「わかる」と感じるのも同じことでは、と考えるようになった

Follow me!